ブルーインパルスは素晴らしい演技で私たちを魅了してくれます。
ただパイロットたちは常に危険と隣り合わせです。
安全を第一に考えていても、事故を100%防ぐことは出来ません。
今回は1982年に浜松基地で起こったブルーインパルス墜落事故について。ブルーインパルスの展示飛行中に起きた唯一の事故です。
墜落事故の原因と場所・事故現場の現在をまとめました。
浜松基地航空祭のブルーインパルス墜落事故(1982年)
1982年11月14日、静岡県浜松市にある浜松基地で航空祭が開催されました。
午後1時からブルーインパルスの飛行展示がスタート、15番目の課目「下向き空中開花」を行っていた時です。
「下向き空中開花」の画像です。
一機のだけ突き抜けて下方へ飛行しています。この機体が事故を起こした4番機。
高度を下げすぎ浮上できず、このまま地面へ墜落してしまいました。
墜落時の画像です。
基地から500メートル北にあるホンダエクスプレスの敷地内に墜落。
住宅や工場が炎上しました。
墜落時の様子、被害状況が撮影された動画です。
墜落事故の被害状況
民家一棟が全焼、工場二棟が半壊。
被害にあった家屋は全部で二十八棟。
駐車場に置いてあった車両492台が被害を受けました。
墜落した機体は四方にバラバラに。
墜落地点から幅200m、長さ500mの広範囲に飛び散りました。
壁に突き刺さった尾翼の画像です。
住民ら14名がやけどなどの重軽傷で病院へ搬送。
4番機パイロット高島一尉が即死、殉職しました。
本来のルートのまま墜落したら、住宅密集地や東名高速道路が墜落現場になっていました。
事故機のパイロットは、墜落しても被害の少ない場所を選んだのではないか?との可能性が指摘されています。
墜落場所と現在
墜落現場は、ホンダ・エクスプレスの敷地内。
完成車両や社員が使用する車を留め置く場所(駐車場)でした。
ホンダ・エクスプレスは現在の「株式会社ホンダロジスティクス」です。
グーグルマップを見るとおおよその場所が分かると思います。
ブルーインパルス墜落事故の原因
原因は2つあると言われています。
①編隊長の指示がおくれたため
下方に向けて飛行した状態から「ブレーク・・・ナウ!」という編隊長の指示で、次の動きに移ります。
その指示が遅れたため4番機が高度を下げすぎ、浮上することが出来ませんでした。
編隊長の指示直後の画像。
浮上できず、下方に進んでいく事故機。
編隊長の指示が0.9秒遅れたため事故になってしまったそう。
②ループの頂点の問題
ループの頂点がいつもより低くなってしまった。
つまり降下し始めたポイントが低かったことも、事故原因の一つとなりました。
墜落事故調査について
墜落事故調査の内容について簡単にまとめました。
興味のある方はご覧ください。
墜落事故調査の内容
事故調査において問題となったのは編隊長の指示についてです。
「0.9秒遅れが過失と問えるのか?」
判断しかねた静岡地検の検察官はブルーインパルスに体験搭乗したそうです。
そこからブルーインパルスの隊員は調査に協力的になりました。
編隊長の指示が事故原因とされましたが、編隊長は起訴猶予となりました。
(起訴猶予…犯罪の嫌疑があるが、裁判を受けるほどではない)
事故前から「下向き空中開花」では、編隊長の指示遅れが度々発生していました。そのため各パイロットには「編隊長の指示が遅れたと判断したら、編隊長機に付いていくように」との申し合わせがなされていました。
申し合わせ内容を文書化しパイロットは署名していたのですが、事故機のパイロットは「編隊長の命令に従う」と署名を拒否していました。
4番機パイロットは不起訴ですが、「危険判断される場合、編隊長についていくべきだった」と責任の一部が認められました。
浜松墜落事故後のブルーインパルス
事故後夕方のニュースで大きく扱われ、「危険な曲技飛行」として繰り返し報道されました。
ブルーインパルスは活動を徹底的に自粛。批判的な報道、ブルーインパルスに対する住民の不安感から訓練が出来るような状況ではありませんでした。
存続すら危ぶまれる状況に追い込まれます。
しかし広報の柱となるブルーインパルスを失うわけにはいかない航空自衛隊は、安全対策を幾度も検討。
事故から2年後の1984年6月、静岡地検の判断がでます。
※内容は墜落事故調査についてに記載
事故を起こした課目「下向き空中開花」は廃止。
飛行高度の引き上げなどを条件に、アクロバット飛行が再開されました。
ただ浜松基地でアクロバット飛行が復活したのは、さらに15年後の1999年(平成11年)です。
(それまでは「浜松スペシャル」という水平課目のみだった)
17年かけて地元の方々に根気よく丁寧な説明をし続け、果たされた復活でした。
まとめ
浜松基地で起こったブルーインパルス墜落事故の原因や現場、被害についてまとめました。
残念ながらパイロットが1名殉職してしまいましたが、民間人の死者が出なかったことは奇跡としか言いようがありません。
0.9秒が生死を分けるとは、パイロット達がいかに過酷な世界で生きているかがわかりますね。
だからこそ生まれるパフォーマンスは美しい。
これからも安全に活躍されることを祈っています。
コメント
コメント一覧 (2件)
当時4~5歳、祖父母に連れられて会場にいました。飛行機が落ちたと大勢の人が逆方向に走ってきて、訳もわからず逃げた記憶があります。こういう事故だったんですね。亡くなった方のご冥福をお祈りいたします。
浜松地元の詳しい友人によると、墜落現場は高丘公園近くの現在もあるホンダロジではなく、昔ホンダがあったたしか「しまむら」の辺りのようです。東名のすぐ手前です。