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ブルーインパルスの事故一覧と死亡したパイロット、元隊員の死亡事故をまとめました。

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こちらの記事ではブルーインパルスの死亡事故について、事故の概要、原因、死亡したパイロットをまとめています。

元ブルーインパルスパイロットの事故もまとめています。

目次

ブルーインパルスの死亡事故一覧

ブルーインパルスが発足してから起こった死亡事故を表にまとめました。

ブルーインパルスの死亡事故

場所概要
1961年7月
(昭和36年)
愛知県田原市
伊良湖岬沖
訓練中の事故
1965年11月
(昭和40年)
浜松基地訓練中の事故
1982年11月
(昭和57年)
浜松基地航空祭での事故
1991年7月
(平成3年)
宮城県石巻市
金華山沖
訓練中の事故
2000年7月
(平成12年)
宮城県石巻市
金華山沖
訓練後の帰投中
2014年1月
(平成26年)
松島基地周辺接触事故

※2014年の事故は接触のみで死亡者はいません。

元ブルーインパルスパイロットの死亡事故

元ブルーインパルスパイロットの死亡事故です。

場所元パイロット
2016年4月
(平成28年)
鹿児島県
高隈山御岳
平岡3佐殉職
2022年1月
(令和4年)
小松基地田中3佐殉職

表は簡単な内容ですが、

概要、原因、死亡したパイロットについて、この後にそれぞれの事故ごとにまとめました。

ブルーインパルスの事故 F-86時代

1960年 ブルーインパルス誕生

photographer and editor Hvhv – Originally from ja:wikipedia, its description page is/was here, パブリック・ドメイン, リンクによる

1960年にブルーインパルスが誕生、ホームベースは浜松基地でした。

発足当時使われていた機体はF-86です。通称「ハチロク」。

東京オリンピック(1963年)で五輪のマークを描いたことで有名。

1961年の墜落事故

ブルーインパルス発足後、初の死亡事故です。

概要

1961年(昭和36年)7月21日
愛知県田原市伊良湖岬沖でブルーインパルスが墜落。

亡くなったのは加藤 松夫3佐
編隊長になるための訓練中の事故でした。

事故後

ブルーインパルスは1ヶ月の飛行停止。事故調査内容から安全対策をたて再開。

1965年の墜落事故

概要

1965年(昭和40年)11月24日
浜松基地で訓練中の事故でした。

テイクオフ・ロール時に失速してそのまま墜落。
亡くなったのは城丸 忠義2尉

ブルーインパルスの事故 T-2時代

Hvhv – 撮影・編集=Hvhv, パブリック・ドメイン, リンクによる

1982年にF-86からT-2国産練習機に変更。

それに合わせてホームベースが、浜松基地から松島基地に変更されました。

T-2は1982年~1996年に使用されました。

1982年 浜松基地航空祭での墜落事故

航空祭中に起こった唯一の事故

概要

1982年(昭和57年)11月14日
浜松基地航空祭で起こった墜落事故。

「下向き空中開花」という課目を行っていた時、4番機が会場近くの駐車場に墜落。
民間人14名の負傷者が出た。

墜落機(4番機)のパイロット高嶋 潔3佐が殉職。

原因

事故原因は編隊長の指示の遅れ。

事故後

展示飛行中に起こった唯一の事故。
事故の影響は大きく、アクロバット飛行が再開されるまで約2年かかりました。

詳しく知りたい方はこちらの記事をご覧ください。

1991年 2機の墜落事故

概要

1991年(平成3年)7月4日
宮城県石巻市金華山沖で起こった訓練中の事故。

4機で訓練中、2機(2番機・4番機)が海面に墜落しました。
式地 豊1尉濱口 誠司1尉が殉職。

原因

訓練していた日は海面が海霧(かいむ)に覆われていました。

低高度で海霧の中に入ったことで編隊長機(リーダー)が空間識失調に陥り、誤った場所から編隊を左に傾けたことが原因。
この年の展示飛行はすべて中止されました。

空間識失調とは?
操縦者が自分又は操縦している航空機の姿勢、位置、運動状態(方向、速度、回転)などを客観的に把握できなくなった状態を指します。  
引用:一般財団法人航空医学研究センター 

ブルーインパルスの事故 T-4時代

1996年にT-2国産練習機からT-4練習機に変更。

T-4は1996年~現在まで使われている機体です。

2000年 ブルーインパルス牡鹿半島墜落事故

概要

2000年(平成12年)7月4日
宮城県石巻市金華山沖での訓練を終えて帰投する途中での事故。

5番機と6番機が宮城県牡鹿郡(おしかぐん)牡鹿町の光山(ひかりざん)山頂付近に激突。
亡くなったのは阿部 幹夫3佐一嶋 三樹3佐梅川 智弘1尉の3名。
(6番機には2名搭乗していました)

原因

訓練終了時に本来の場所から外れた空域に。
そこから飛行ルートを誤ってしまい、結果誤った地点から降下し山頂付近に激突。

この日も海面が海霧(かいむ)に覆われていました。

事故後

事故以降その年の展示飛行を全て中止。
安全対策を積み重ね、翌年2月に訓練再開となりました。

1991年の事故と全く同じ日に起こってしまった痛恨の事故
以後7月4日は展示飛行の練習をせず、光山(ひかりざん)に慰霊の登山が行われるようになりました。

参考:ブルーインパルスファンネット

2014年 ブルーインパルスの接触事故

概要

2014年(平成26年)1月29日
松島基地から南東に約45kmの太平洋上で1番機の機首部と2番機の左後方が接触し緊急着陸。

ブルーインパルス発足以来、初の接触事故
幸いにしてけが人、殉職者なし。

元ブルーインパルスパイロットの事故

2016年 U-125御岳墜落事故(平岡3佐)

概要

2016年4月6日
自衛隊機U-125が飛行点検中に高隈山御岳山頂(鹿児島県)に衝突。
乗員6名全員が殉職しました。

元ブルーインパルスパイロット

U-125の機長は、元ブルーインパルスパイロットの平岡勝3佐
事故当時46歳でした。

タックネームはGUY(ガイ)
ブルーインパルスでは1番機パイロット、飛行班長でした。
2010年4月1日から約3年間在籍。

原因

機長が山の高度を誤認かつ副操縦士も気付かなかったこと、悪天候下で対地接近警報装置が作動したにもかかわらず回避が遅れたこと
引用:Wikipedia(U-125御岳墜落事故

2022年 飛行教導群F-15墜落事故(田中1佐)

概要

2022年1月31日
石川県小松市沖でF-15DJ戦闘機が、訓練に向かうため離陸後に墜落。
事故機に乗っていた2名が殉職しました。

元ブルーインパルスパイロット

F-15DJの前席は元ブルーインパルス飛行隊長、田中公司1佐
田中1佐は小松基地で飛行教導群司令を務めていました。
事故当時52歳。

タックネームはJOE(ジョー)
ブルーインパルスでは1番機パイロット、飛行隊長でした。
2011年5月~2014年7月まで在籍。

原因

事故原因は搭乗者2名が空間識失調に陥ったこと。
事故が起きた17時半は日没の薄暗い状態。また高度150mから雲が発生していたため、離陸直後から雲中を飛行。空間識失調に陥りやすい条件でした。

空間識失調とは?
操縦者が自分又は操縦している航空機の姿勢、位置、運動状態(方向、速度、回転)などを客観的に把握できなくなった状態を指します。  
引用:一般財団法人航空医学研究センター 

最後に

亡くなったパイロットの方々のご冥福をお祈りします。

自衛隊員のみなさまが無事に職務を全うできますよう、心からお祈り申し上げます。

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