ブルーインパルスの事故を年表形式で一覧にまとめました。
分かるものは殉職者数、殉職者、原因を記載しています。
また、最近起こった元ブルーインパルスパイロットの事故も載せています。
ブルーインパルスの事故一覧
1960年代(2件)
1960年 ブルーインパルス誕生
発足当時使われていた機体は「F-86Fセイバー」
1961年(昭和36年)7月
訓練中の事故。伊良湖岬沖(愛知県田原市)で墜落し、次期編隊長要員だった加藤3佐が殉職。
ブルーインパルス初の犠牲者となった。
ブルーインパルスは1ヶ月の飛行停止。事故調査内容から安全対策をたて再開。
1964年10月 東京オリンピックで五輪マークを描く。
1965年(昭和40年)11月
テイクオフ・ロール時に失速して墜落。パイロットの城丸2尉が殉職。
1980年代(1件)
1982年 ブルーインパルスの機体を「F86Fセイバー」→「T-2」国産練習機に変更。
1982年(昭和57年)11月
浜松基地航空祭のブルーインパルス墜落事故
浜松基地航空祭で「下向き空中開花」という課目を行っていた時、会場近くの駐車場に墜落するという事故が発生。墜落機のパイロット高嶋1尉が殉職、民間人にも14名の負傷者が出た。展示飛行中に起こった、唯一の事故。
事故原因は編隊長の指示の遅れ。
事故の影響は大きく、アクロバット飛行が再開されるまで約2年かかる。
1990年代(1件)
1991年(平成3年)7月
金華山沖(宮城県石巻市)で訓練をしていた4機のうち2機が墜落するという事故が発生。
式地1尉、浜口1尉の2名が殉職。
低高度で海霧の中に入ったことで編隊長機が空間識失調に陥り、編隊を左に傾けたことが原因。
この年の展示飛行はすべて中止。
空間識失調とは?
操縦者が自分又は操縦している航空機の姿勢、位置、運動状態(方向、速度、回転)などを客観的に把握できなくなった状態を指します。
引用:一般財団法人航空医学研究センター
1996年 「T-2」国産練習機→「T-4」練習機に変更
2000年~ 現在(2件)
2000年(平成12年)7月
ブルーインパルス牡鹿半島墜落事故
金華山沖(宮城県石巻市)での訓練を終えて帰投する途中、5番機と6番機が宮城県牡鹿郡牡鹿町の光山山頂付近に激突。
阿部3佐、一嶋3佐、梅川1尉の3名が殉職。
訓練最後に行われた曲技飛行で本来の訓練空域から外れてしまい飛行ルートを誤認、誤った地点から降下してしまったことが原因。
事故以降その年の展示飛行を全て中止。翌年2月に訓練再開。
1991年の事故と同じ日に起こってしまった痛恨の事故。
2014年(平成26年)1月
松島基地から南東に約45kmの太平洋上で1番機の機首部と2番機の左後方が接触し緊急着陸。
ブルーインパルス同士の接触事故は発足以来初。犠牲者なし。
元ブルーインパルスパイロットの事故
2016年(平成28年)4月
U-125御岳墜落事故
2016年4月6日、自衛隊機U-125が飛行点検中に高隈山御岳山頂(鹿児島県)に衝突。
乗員6名全員が殉職しました。
U-125の機長は、ブルーインパルス元1番機パイロットの平岡勝3佐でした。
航空自衛隊の事故報告によると事故原因は、人為ミスを含む複合的なものとされました。
- 飛行計画に書かれた高度が誤っていた
- 機長・副操縦士が山の高さを誤って認識
- 雲がかかっていたため視界不良であった
- GPWS(対地接近警報装置)が作動していたが適切な対応がとれなかった
2022年(令和4年)1月
飛行教導群F-15墜落事故
2022年1月31日、石川県小松市沖でF-15DJ戦闘機が、訓練に向かうため離陸後に墜落。
事故機に乗っていた2名が殉職しました。
F-15DJの前席はブルーインパルスの元飛行隊長、田中公司1佐でした。
田中1佐は小松基地で飛行教導群司令を務めていました。
事故原因は搭乗者2名が空間識失調に陥ったこと。
事故が起きた17時半は日没の薄暗い状態。また高度150mから雲が発生していたため、離陸直後から雲中を飛行。空間識失調に陥りやすい条件でした。
最後に
ブルーインパルスの事故一覧は以上になります。
亡くなったパイロットの方々のご冥福をお祈りします。
事故をゼロにすることは難しいと思いますが、自衛隊員が無事に職務を全うできますように。
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